大光炉材60年史
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92 かなか原料が入ってこない。入ってきても価格は天井知らずで、逆に品質は下がってるんじゃないかと思えました。当時の担当部長が一番しんどかったと思いますが、私も在庫(玉)の確保に汲々としました。やがて状況は戻ってきましたが、そのときの危機感を引きずるというか、在庫の確保のイメージが強く残りすぎて、今度は社内に在庫を抱え込むようなクセがついてしまいました。いま考えれば、視野がせまく固定されてしまって、状況の変化が見えなくなっていたようです。それが苦労でもあり失敗でもあって、印象に残っています。森下 私の場合は営業ですので、結局は見積りを出すときの数字上のミス、あるいは工事関係での発注ミスでしょうか。いずれもフォローはしますが、それが原因で事態がふくらむといった性質のものではありません。苦労したことで思い出すのは、静岡の溶融炉でトラブルがあって復旧工事をしたときですね。営業職として現場についていましたが、昼間営業の仕事を済ませてから、夜は作業員として復旧作業に参加しました。ですから1週間に数時間しか寝ないといった状態が1ヵ月ぐらいあって、それでも体力には自信がありましたから乗り切ることができました。いまの若い人なんか、一般的にですけど、すぐキツイと言いますね。1日24時間あるのにって思いますけど、そういう理屈は通用しないというか、自分の仕事はこの時間の範囲ですよという考え方が多いようですね。その辺は強要するわけにはいかないので、一つの課題といえば課題かなと思います。荒川 私も営業を担当しての話ですが、関東で新素材の営業を始めたころ、当社の社名が『大光炉材』と漢字4文字なわけでして、セラミックスのような素材を扱う社名としては珍しい。社名に「セラ」を組み入れたりしてカタカナが多いなかで、ギャップがあるというか、やや気後れするところがありました。飛び込みでの電話でも、ネームバリューがなくて苦労した記憶があります。それでも、とっかかりをつかんで一度サンプルを見せると、製品の良さで印象をくつがえすことができました。そういうことがあって、自分たちの技術を客観視して自信をもちさえすれば、営業の姿勢も勢いづくことがわかりました。今後は、『大光炉材』の社名が、セラミックス業界でネームバリューをもつようにしたいと考えています。大庭 3年半前に現在の部署に移りまして、当初はセラミックスと耐火物の差といいますか、同じ無機材料でも、やはり実際面でかなり違いがあると感じました。しばらくは対応に苦労しましたが、ようやく追いついたので力を発揮していきたいと思います。新規材料の開発というミッションを授かってるわけですが、こういった素材ができたらどれくらい売れるんだという、目標を明確にしてやっていく必要性を感じています。また規定路線のようなものに固執すると、新しいものも生まれないんじゃないかという思いもありまして、その辺のジレンマを自分の中でうまくコントロールしながらやっていこうと考えています。幸野 私の場合は、先ほど松永先生が言われました英語で、失敗もしましたし苦労もしてきました。まだ新入社員だったころですが、何人かで食事会に参加させていただきました。ちょうど上海からアンジェラさんという女性が中国からお客さんとして同席されていましたが、英語ができないのでコミュニケーションがとれませ

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