大光炉材60年史
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77通史 第2部 第11章・苦境の中からの新たなスタート(2001~2006)すという約束の上に成り立っているということです。これはあくまでも『企業に参加する』ことが目的ではない、『利益を出す』と言うことが目的になるのです。そこを間違えないようにしていただきたいと思います。その努力をする上で企業というものの活動をみんなでやっている訳です。私がよく「明るく楽しく」と言っていますが、それは逆に言いましたら、大変な仕事をしている中で精神的なゆとりを持って欲しいと言う意味で、人間としての問題を言っている訳で、それを踏み間違って「明るく楽しく」が優先であって、企業活動は後だというとらえ方をされている人がいれば、これは大間違いで、はっきり言って我が社には必要のない人間だと思います。 私がこのようになってつくづく思ったのは、やはり企業というものの意気込み、きっちりとした考え方を定かにしておかなければならない。自分が病弱になっていけばいくほど、私自身が企業というものに参加できないし、自分自身がぶら下がっていてはいけない気持ちになります。自分自身も利益を出してやって行くんだという意気込みが私自身の責任だと思っています。社長としてやって行く以上は、より利益を出していく企業にしていくことが私の責任で、また皆さんも利益を出してもらうことが皆さんの責任であると思います。その為には研究部門、営業部門、あるいは工場部門というものが一体となってやってもらうと言うのが企業の目的です。利益を出してこそ企業です。今年は厳しい、厳しいと言うのなら、それをまっすぐ新年度に向けて計画を立ててもらいたいし、またそれを常に頭の中に置いていただきたいと思います。まますれば、「俺は」と言う気持ちが無いとも言えないと思います。それを新年度を迎えるに当たっては払拭していただきたい。今年こそは目的を持って利益を出す仕事をして頂きたい。改めて皆さんに考えて頂きたいと思います。それが来年度にとって一番重要であると思います。来年度について、皆さんも新聞、ニュース等でよく聞かれていることですから、私が改めて言うこともないと思います。一つ皆さんにお願いしたいのは企業というものは『利益を出してこそ企業である』と、今後の企業活動をしっかり胸に受け止めて頑張っていただきたい。またそれが出来なければ企業というものは生き残れないと言うことを自覚してもらいたい。 この挨拶のなかで少し触れているが、小林滉社長は持病が悪化し、会社に出られないという日々が続いていた。自分自身が思うように陣頭指揮をとれないという思いもあり、自らも鼓舞するように会社が苦難を迎える新年度への強い決意を語った。2.小林仁志が副社長に就任 平成14年(2002)9月、日本鋼管株式会社と川崎製鉄株式会社が経

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