大光炉材60年史
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74 タートした」という。また、台湾を拠点にしたのは、「原料を中国から輸入しているので、中国本土への進出も考えて何度か訪問したが、ビジネスを考えるとリスクが大きい」と判断したためで、「台湾に拠点があれば、中国本土から原料の入手もしやすいし、将来的には台湾を拠点に他のアジアの国に出ていくことも可能である」ことを考慮したという。大祥耐火材料公司は平成8年(1996)に資本金約6億円(周氏50%、大光炉材50%)で設立され、平成10年(1998)から生産を開始した。設備の設置や生産については当社が技術指導し、現在も工場長を派遣している。当初はCSC(チャイナ・スチール・コーポレーション)などへの参入には苦労したが、その後徐々に取引を拡大し、現在でも業績は順調に推移している。7.IT景気の波に乗って躍進する新素材開発部 平成7年度(1995)に黒字化を達成した新素材開発部は、1990年代の後半も多少の波はあったものの黒字化を継続していた。平成8年(1996)には立法晶SiC結晶技術を導入し、耐酸化性多孔質セラミックスに関する特許を出願するなど技術力を着実に積み上げていった。平成9年(1997)3月には南里隼人が京都工芸繊維大学で2年間の博士課程を修了し、材料科学分野の博士の学位を取得した。 平成9年(1997)4月に平川明宏が部長となり、さらに半導体分野での営業を強化した。半導体検査装置メーカーのほかデバイスメーカーにもアプローチし、ハンドラー用の部品などの受注を拡大していった。平成10年(1998)年1・2月号の社内報「TAiKO」に掲載された年頭の挨拶で、平川部長は次のように述べている。 「昨年(1997)の新素材開発部というと、社長をはじめ他部門の皆さんの後ろ盾もあり、おかげさまで売り上げ、利益とも大幅な改善を行うことができました。私の好きなゴルフに例えるならパー、バーディーの連続で実力以上のものが出たように思います。しかし、今年はメインユーザーの半導体業界も以前の勢いはなくアゲンストの中、昨年同様な成果を出せるか? 真価を問われる1年となりそうです。 また、私たちも日本同様目先の利益を確保しつつ、将来に向けた基盤づくりをしなければなりません。利益が出せるようになって3年になりますが、現状の路線のみならず新しいものに貪欲に挑戦し、安定した企業体に育てていきたいと考えています」 この言葉にあるように、平成10年(1998)は売上高171,434千円と前年比でマイナス25%減と苦戦したが、利益はなんとか黒字を確保した。研究開発ではNEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)の補助事業で「超音波振動・電気化学反応複合型高効率超精密ダメージフリー加工法研究に着手し、設備ではNC平面研削盤マシニングセンターを導入した。翌平成11年(1999)には、中小企業総合事業団(現・独立行政法人中小企業基盤整備機構)の補助事業で炭化珪素系熱電変換材料の開発に着手するなど、新技術へ積極的にチャレンジし

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