大光炉材60年史
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73通史 第2部 第10章・低コスト化の試練と挑戦(1995~2000)大光炉材の3社の合弁会社)○米アライドミネラル社、群益製品出口公司(香港)、大光炉材のトップによるトップミーティングを香港で開催。○台湾のCSC(チャイナ・スチール・コーポレーション)向け輸出製品2,275トンを生産、出荷〈平成8年(1996)〉○台湾での合弁会社「大祥耐火材料公司」設立許可○仏AGS社MONOSID向け1997年用高炉樋材を受注〈平成9年(1997)〉○米アライドミネラル社とのトップミーティングをコロンバスオハイオで開催。○伊ノーバシルバ社、仏AGS社、当社の3社会議をベニスで実施。今後のライセンスビジネスを討議○台湾の大祥耐火材料公司から研修生4名を受け入れ。本社、大分工場で研修○台湾の大祥耐火材料公司で設備設計、機械据え付け工事が開始され、当社の君津工場、大分工場からスタッフを派遣〈平成10年(1998)〉○台湾の大祥耐火材料公司の生産が開始。当社大分工場、研究所などにより技術指導を実施○台湾の大祥耐火材料公司の株主総会を6月4日に台湾で開催○米アライドミネラル社とのトップミーティングを当社の本社で開催 1980年以降、大光炉材の海外ビジネスは耐爆裂性の流し込み材「FIREWALL BF-SCRシリーズ」のライセンス供与を中心に進めてきた。そのなかで、海外での生産拠点となる子会社の設立を模索していたが、そのとき小林滉社長は台湾の大手耐火材メーカーである友和耐火材料公司の周克芳社長と知己を得た。周社長は友和耐火材料公司の創業者ではあったが会社の資本は保有していなかったので、将来的には友和耐火材料公司で取り扱っていない不定形耐火物で独立したいという希望を持っていた。そこで、周社長の子息である周祥徳氏を大光炉材の研修生として受け入れることになった。周祥徳氏は平成3年(1991)5月から1年間、当社の研究所で不定形耐火物の技術を修得した。 その後、周社長が友和耐火材料公司から独立するにあたって、大光炉材が協力することになり合弁会社として「大祥耐火材料公司」を設立した。設立の経緯について、小林滉社長は「当社は設備や生産のことは分かるが、台湾の経済環境、立地や人のことは分からない。そこは周さんが担当してほしい、ということで合弁会社を設立することになった。とにかく品質だけは落とさないようにということを徹底して指導して、スアライド・ミネラル社との共同研究事業についての協議(H2.7本社会議室にて)研修を終えた周 祥徳さん(友和耐火)が台湾へ帰国。右は同社社長で父の周氏(H4.5.25)

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