大光炉材60年史
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68 2.国際競争の渦の中で 1990年代に実際にどれだけ単価が下がっていたかを具体的な数字で見ると、以下のようになる。販売実績和暦西暦売上高(億円)売上量(千t)平均単価(円/kg)平成3年度1991年78.256.6138.2平成4年度1992年72.052.9136.1平成5年度1993年69.656.3131.1平成6年度1994年67.956.3120.6平成7年度1995年66.558.0114.7平成8年度1996年64.757.9111.9平成9年度1997年67.460.7110.9 ここで分かるように、平成3年(1991)のバブル崩壊以降、製品単価は右肩下がりで低下しており、特に平成5年度(1993)以降の下がり方が急激になっている。 1990年代の後半には、平成9年(1997)の北海道拓殖銀行、山一證券をはじめとして金融機関の破たんが相次いだが、それらはバブル期に抱え込んだ不良債権に起因するものだった。鉄鋼業界の合理化は、バブル期の精算というより、さらに構造的な課題に起因していた。昭和60年(1985)にドル高を是正するプラザ合意以降、円高が進行するなかで、日本の鉄鋼業界は次第に国際競争力を失いつつあった。そこで、国際競争力を回復すべく、徹底した合理化策を推進し始めた。その結果、耐火物業界も国際競争力原理導入による価格競争の渦の中に巻き込まれることになった。 仮に、平成8年度の売上量を平成3年度の平均単価で単純計算すると約80億円の売上高となる。5年間で約15億円の利益が消失したことになる。こうした環境変化への対応について、技術・営業担当取締役であった渡部公士は次のように述べている。 このような急激な環境変化が起こり得る事を予感したのは、93年度に入ってからでした。勿論過去に体験したことではなく、半信半疑ながら、足元が崩れるような恐怖すら感じたものです。年度計画が基礎数字の変化により、すぐに意味をなさなくなるという異常事態が続きましたが、幸いなことに現在まで、社長の強力な指導力の下全社員の努力により、我社はこの環境の急変に適応しています。その活力は相当なものでありますが、問題は、この価格変動がまだ数年は続くであろうと思われることです。ただ21世紀の日本経済の有り様を考えれば、全産業分野に亘って規制、日本的慣習といったものは影が薄くなり、アメリカ流市場経済に移行して行くものと考えられます。さすれば、現在直面している困難は、21世紀に発展を期するためにはどうしても越えなければならない試練だと考えられます。ここ数年は全社的効率追求を通じて全社員一致して、この難局を乗り切って行きたいものです。社内報「大光」338号(平成10年2月15日)より

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