大光炉材60年史
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67通史 第2部 第10章・低コスト化の試練と挑戦(1995~2000)1.3年連続の製品単価の引き下げ 平成7年(1995)の日本経済は、バブル景気崩壊による土地や株式などの資産価格の著しい低下に伴う不況に加え、同年1月17日の阪神・淡路大震災の発生、1ドル100円を突破する急速な円高などが加わり、長引く不況のなかでさらなる苦境がのしかかった。阪神・淡路大震災では、大光炉材の主要取引先の一つである株式会社神戸製鋼所は神戸本社が倒壊し、高炉が停止するなど神戸製鉄所、加古川製鉄所の被害が甚大で、製品納入が一時中断することになった。 平成7年度(1995)入社式の朝礼で小林滉社長は、次のように述べている。 平成7年度は昨年度から引き続き、“低コスト”が重要になってくる年であるとみております。そしてユーザーさんからの値下げ要請に対する問題等がございます。また、現在は、1ドル=86円という信じられないような値がついて世間を騒がせております。それだけ円が高い評価を受けているとも言えるのですが…日本に住む私達が幸せな生活を送るためには、闇雲に賃金引き上げを訴えるのではなく、どうすれば低コストで生活できるかを考えなくてはなりません。低コスト化を進めるためには効率のよさを追求する必要があります。社内でも「自分一人くらいは…」と考える者が一人、二人と増えていけば、当然非効率になります。つまり個人レベルで効率よく仕事を行うことが必要になるのです。 大手鉄鋼メーカーでは合理化計画を推し進め、大光炉材でも3年連続で製品単価引き下げを実施していた。円高によって輸入品の原材料コストは下がったが、それでも中国産シャモットとボーキサイト原料が平成8年(1996)1月から割当数量有償入札(EL)制度が採用されることが決定して価格の上昇が必至となるなど、欧米および東南アジアの景気回復が本格化したことをうけて、平成7年(1995)の後半からは原材料コストは上昇傾向にあった。鉄鋼メーカーの合理化に対応するためには、原材料費の削減ではカバーできず、生産はもちろん、営業や業務も含めたすべての低コスト化が課題であった。 小林滉社長はこうした環境変化を棒高跳びに例えて「1センチ刻みであったバーが一気に10センチになるということが起こっています。何としても飛び越えなくてはいけないと思います。世界一流の跳躍力を身につけないと今の時代は乗り越えられないと私は認識していますし、みなさんも共々にそういう方向で考えていってもらいたい」と、全社員に訴えた。低コスト化の試練と挑戦(1995~2000)第10章

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