大光炉材60年史
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64 8月に屋根トタン葺き替え、平成5年(1993)7月に路面舗装などの改修工事が行われ、本社事務所は平成5年8月に内装を一新する改装工事を実施した。 本社と大分工場の事務所の改装・新築のもう一つの目的は、情報化の推進であった。そのために、平成5年(1993)4月に技術本部に情報管理部(初代部長は大谷勝)を新設した。情報管理部では社内LANシステムの拡張を目指し、当初はパソコン通信により外部情報(JICST/PATOLIS/帝国データバンクなど)の入手からスタートし、電子ファイリングシステム[クラレ・ファイル君]を導入した。平成6年(1994)7月には、大分工場にLANシステムを構築し、本社と大分工場との通信回線を開通させた。4.営業部の組織変更 大光炉材が企業基盤の整備を進めていた1990年代の初頭、円高が急速に進んだ。平成6年(1994)には1ドル=100円の大台を突破し、平成7年(1995)年4月19日には瞬間ではあったが1ドル=79円75銭と80円割れを記録した。 鉄鋼業界はバブル崩壊後の需要低迷と円高の影響を受け、各社とも業績が悪化していた。新日本製鐵(現新日鐡住金)広畑製鐵所では、平成5年(1993)に第4高炉が停止されすべての高炉が休止するなど、各社とも大幅な合理化案を策定し実行に移していた。炉材メーカーも製品価格の値引きなどの要請を受け、合理化対応を迫られることになった。平成6年(1994)2月の営業会議で、小林滉社長は「今後2年間は企業の存亡がかかった勝負の時期。生き残った後は、状況が好転するはずである。3年間の辛抱だ」として、「購入原料単価の値下げだけでは、炉材製品単価値下げ分をカバーしきれない。そのため、経費の縮小と売上の拡大をさらに推進しなければならない」と営業担当者を鼓舞した。そのための具体策として「焼却炉関係など鉄鋼業界以外への販路の開拓」「鉄鋼業界における新市場の獲得」を挙げた。 この方針に基づいて、平成6年5月に営業部の大幅な組織変更を行い、営業部新組織が発足した。新組織の主な変更点は 1. 特販プロジェクトチームの設置 2. 販売促進チームの設置 3. 営業所の再編成 4. 営業企画室の位置づけ の4点であった。特販プロジェクトチームのゼネラルマネージャーには取締役の末永輝雄が就任した。 新組織の基本的な考え方は、顧客ニーズに的確・迅速に対応することを第一とし、苦手としていた非鉄分野へのさらなる販売拡大を図り、さらに将来の築炉工不足に対応した不定形化を推進して、21世紀に向けた確固たる経営基盤を築くことにあった。大分合同新聞社の記事

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