大光炉材60年史
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61通史 第2部 第9章・高い質の追求(1990~1995)1.バブル景気の業績 1980代半ばに東京圏の地価高騰から始まった景気拡大は、昭和61年(1986)12月から平成3年(1991)2月までの51か月間におよんだ。土地や株など資産価格の上昇が好景気をもたらし、金融・資産運用で大幅な利益を上げる財テクブームと高級車や億ションと呼ばれる高級住宅が次々と売れるという過熱した消費ブームとなった。 このバブル景気によって、鉄鋼需要も一時的に高まったが、耐火物の生産量は下記のように横ばいの状況だった。バブル崩壊後の平成4年(1992)には、耐火レンガが大きく落ち込み、ついに不定形耐火物の生産量が耐火レンガを上回ることになった。耐火物生産量 (単位:千t)和暦西暦耐火レンガ不定形耐火物計昭和61年1986年9627711,73362年1987年9127511,66463年1988年9447911,736平成元年1989年9498351,7832年1990年93283617683年1991年8978151,7444年1992年7727801,5525年1993年7157811,496 このような状況下でありながら、大光炉材の業績は好調で、昭和63年(1988)年には年間生産量が51,552トン(君津工場18,758トン、大分工場32,794トン)となり、5万トンを突破した。平成2年(1990)には年間生産量が57,281トン(君津工場19,655トン、大分工場37,626トン)となり、売上高は84億円を超えた。流し込み樋材「FIREWALL BF-SCRシリーズ」をはじめとしたローセメントキャスタブル耐火物の売上が好調を維持していたのである。2.人材の確保と育成が課題 会社の業績は好調でも、業界全体では国際化の進展で輸入品との競合が進み、価格競争が一段と厳しくなることが予想された。大光炉材では平成2年度(1990)の基本方針として、「高い質の追及」を掲げ、小林滉社長は次のように社員に呼び掛けた。 特に80年代は、物に異常なまでの執着をもってきました。例えば家、車にしてもそうです。今、90年代の中で我々が求められているのは、質の高さ、これは物だけではないと思います。高い質の追求(1990~1995)第9章恒例の新入社員座禅研修平成2年度入社式(H2.4.2)

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