大光炉材60年史
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59通史 第2部 第8章・ファインセラミックス事業への参入(1980~1990)3.ファインセラミックス研究センターが完成 FCPは手探りではあったが、外部研究機関との連携により順調に進み、発足した昭和56年(1981)にファインセラミックス分野で最初の特許となるセラミックスの鋳込み成形に関する特許を出願した。これは、高分子分散剤を用いた中性領域でのスリップキャスティングが可能となるというものであった。 ファインセラミックスは、その機能と用途によって「エンジニアセラミックス」「バイオセラミックス」「エレクトロセラミックス」に大きく分類される。市場的にはエレクトロセラミックスがもっとも大きいが、大量生産が基本であり、非常に大きな設備が必要になってくる。大光炉材では、高度な成形技術が求められるが、産業機械分野で多岐にわたる活用が期待されるエンジニアセラミックス分野に的を絞り、製品開発を進めていくことになった。 昭和58年(1983)4月、ファインセラミックス事業の拠点となる「ファインセラミックス研究センター」(略称:FCRC)が竣工した。主な設備は、射出成形機2基、粉末プレス成形機1基、ラバープレス成形機(CIP)1基、高温電気炉など。また、組織ではFCPが発展的に解消し、ファインセラミックス統括部が発足した。将来の事業の柱に成長することが期待される新素材が、いよいよ事業としてその第一歩を踏み出した。4.着実に技術力を蓄積する ファインセラミックス部の部長にはプロジェクトリーダーの谷口泰造が就任し、製品ブランドは「タイセラム」と決め、最初に製造を開始した製品は耐摩耗部品であった。ファインセラミックスブームといわれ注目されていたが、まだ市場が確立されているわけではなかった。市場開拓をしながらどのような製品が市場で求められているのかを探り、それに応える技術開発が必要であった。 昭和59年(1984)には、射出成形用セラミック組成物に関する特許を出願し、溶接機部品、ファイバー支持具などの製品を「タイセラム」として新たに販売した。また、設備では小型真空炉と100t射出成形機を追加した。翌昭和60年(1985)には、射出成形用セラミック組成物に関する新たな特許とセラミックス製スパナに関する特許を出願し、バーナー部品も手掛けるようになった。 昭和61年(1986)、ファインセラミックス統括部はファインセラミックス部に改組し、製品群もペンチ用部品、刃物、位置決めピンなども追加。平成2年(1990)年には炭化珪素ウィスカー強化ジルコニアに関する特許を出願するなど、その技術力は材料組成面、成形精度などで着実な成果をあげていた。しかし、事業の採算面で見るとまだ赤字が続き、事業として一本立ちするには至っていなかった。昭和62年(1987)に部長になった小山幹男は営業力強化の舵を取ったが、その成果が表れるまでには、まだ時間が必要であった。 ファインセラミックス事業は、昭和44年(1969)に制定された社是

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