大光炉材60年史
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57通史 第2部 第8章・ファインセラミックス事業への参入(1980~1990)1.将来を見据えた新規事業への参入 オイルショック以降、鉄鋼需要が低迷するなかでも、大光炉材は耐爆裂性に秀でたローセメントキャスタブル耐火物の開発などにより業績は順調に伸長し、昭和54年(1979)には年間生産量が41,183トン(戸畑工場6,484トン、君津工場12,404トン、大分工場22,301トン)と、創業以来初めて4万トンを突破した。 業績は順調ではあったが、小林滉副社長(当時)は長期的な視点で不定形耐火物以外の新たな事業の柱が必要であると考えていた。そのヒントは海外にあった。欧州を視察した際、英国のモルガンリフラクトリー社で定形耐火物の新しい技術が目にとまった。この技術を取り入れて、新しい分野に進出できないかと考えた。 昭和55年(1980)7月、「定形耐火物開発プロジェクト」(略称SRP:Special Refractory Project)が立ち上がった。その基本構想は以下のようなものであった。■SRP基本構想「当社の技術・経験・設備・人材を基盤とし、1982年までに少量で高付加価値の定形耐火物製品の製造技術を確立し、もって新規市場を獲得、新規事業の展開をはかる」 メンバーは谷口泰造、大坪秀人の両専務を中心に石崎哲雄、南里隼人、金子泰成を加えた5人で、京都工芸繊維大学の若松盈教授を顧問に迎え、アドバイスを受けることになった。 プロジェクトチームは、まず8月に英国のモルガンリフラクトリー社のほか西ドイツ(当時)、フランスの耐火物メーカーや研究所を視察し、モルガンリフラクトリー社の新技術の評価・検討を行った。また、技術員を京都工芸繊維大学および京都市立工業試験場に派遣した。 その後、国内の需要調査、見込み得意先の訪問などの市場調査を行うとともに、技術導入のための費用、設備投資費用など総合的な計画を煮詰め、昭和56年(1981)にモルガンリフラクトリー社とライセンス契約を締結する予定だった。 しかし、検討の結果、新しい定形耐火物を生産するには大掛かりな生産設備が必要になり、それだけの投資を回収するにはある程度の規模の市場を獲得しなければならないことなどから、新規事業として参入するにはかなり困難なことが分かった。 プロジェクトチームは、その調査の過程で新たな新分野の素材に着目した。それが、ファインセラミックスであった。ファインセラミックス事業への参入(1980~1990)第8章

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