大光炉材60年史
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55通史 第2部 第7章・海外ビジネスの展開(1980~1990) 大光炉材には昭和51年(1976)10月に、中国耐火れんが視察団が本社・研究所、大分工場を見学するなど、それ以前にもアジア各国からは注目されていたが、この時期には日本の不定形耐火物の技術水準は完全に世界のトップクラスに達し、それまで技術を吸収する先であった欧米にも注目されるようになった。2.モルガンリフラクトリーにライセンスを供与 昭和53年(1978)、英国のモルガンリフラクトリー社の技術陣が来日し、大光炉材を訪れた。その目的は、大光炉材が開発した耐爆裂性の流し込み材「FIREWALL BF-SCRシリーズ」の技術の取得であった。 モルガンリフラクトリー社は英国の大手耐火物メーカーで、このとき訪れたのは不定形耐火物を専門にする部門の技術者であった。しかし、モルガンリフラクトリー社は樋材の実績があまりなく、大光炉材の新製品を導入して、市場の大きな樋材分野に進出したいというものであった。 海外ビジネスの展開では、製品輸出がもっとも手っ取り早いのは当然だが、耐火物は重量が重いため送料の負担が大きい。「FIREWALL BFシリーズ」のような緻密質のローセメントキャスタブル耐火物は輸送中の変質も考えられ、また、施工状況を見ながら現場での材料の配合やミキシングを微妙に調整しなければならない。単に、製品を送って終わりではないのである。 このような理由から、製品輸出ではなく技術ライセンスを供与し、ライセンス料の収入を得る方が現実的であった。モルガンリフラクトリー社とのライセンス供与交渉は、初めてのことでもあったので長期間にわたったが、昭和55年(1980)に交渉がまとまった。大光炉材が原材料の仕様グレード、配合方法などを詳細に指示し、それに基づいてモルガンリフラクトリー社が生産するもので、原材料段階および製品段階などで適宜チェックを行い、当初の施工においては大光炉材の技術陣が立ち会う。こうして、欧州への初めての技術輸出が行われることになった。 モルガンリフラクトリー社は、ライセンスを受けた新技術をもとに英国のみならず欧州の各製鉄所に営業を行った。そのなかで最初に施工したのがスウェーデンのルレア製鉄所、イタリアのターラント製鉄所だったという。これらの施工には、大光炉材からは研究所の岩崎逸俊らが立ち会い、技術指導を行った。3.アライドミネラルにライセンスを供与 モルガンリフラクトリー社に続いて、昭和59年(1984)、米国のアライドミネラル社(本社オハイオ州コロンバス)に流し込み樋材クレーボンドキャスタブル、ダンディッシュコーティング材のライセンス供与を行った。アライドミネラル社は不定形耐火物メーカーであったが、製鋼分野が中心で、製銑分野の製品が手薄であった。そこで、大光炉材の樋材の技術に注目し、ライセンス供与を申し込んできた。当時、アライドミネラル社は従業員が100人に満たない中小企業で、市場開拓に意欲を燃やしていた。中国金属学会耐火材視察団を迎えて

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