大光炉材60年史
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54 1.技術輸入から技術輸出へ 1980年代の初頭、日本経済のキーワードとなったのは「軽薄短小」であった。高度成長時代には重厚さや長くて大きいものが価値基準になっていたが、安定成長時代には「より軽く」「より薄く」「より短く」「より小さく」といった要素が商品に強く求められた。この時期から産業構造のソフト化やサービス化の流れが広がり、重化学工業は「軽薄短小」ブームのなかで精彩を欠いた。鉄鋼をはじめ日本の素材産業は、高付加価値製品に軸足を移し、後に日本経済を再び牽引することになるが、この時期は雌伏の時であった。 大光炉材にとっての1980年代は、蓄積してきた技術が一気に開花して、海外でのビジネスが次々と展開されていった時代となった。そこに至るまでの前史を簡単に振り返ってみる。 大光炉材の製品が初めて海を渡ったのは昭和35年(1960)のことで、商社を通じてブラジルに高炉熱風炉用耐火モルタルを輸出した。その後、昭和40年(1965)に外国部を設置し、台湾、フィリピンなどにキャスタブル耐火材などを輸出し実績を積み上げていった。しかし、この時代は欧米から技術を吸収することの方が多く、技術的には輸入時代であり、小林武爾社長や大坪外国部部長(当時)らが欧米を視察し、不定形耐火物の先進国の情報を収集し、技術力の向上を図った。 小林滉副社長も、入社後から機会があれば海外視察に積極的に参加し、知見を広めてきた。生産性本部などが行う通常の海外視察だけでなく、外部ブレーンでもある京都工芸繊維大学工芸学部の若松盈教授が企画した欧州の技術視察に、開発研究本部の谷口取締役や岩崎逸俊研究員を伴って参加した。この視察ではヨーロッパ各国の公的研究所を中心に、若松教授の知己のある耐火物メーカーなども訪問することができたことで技術的にも有意義なものになった。このとき、フランスの耐火物の会社と名刺を交換したことが、後に粘土系高密度キャスタブル特許使用権の購入につながり、「FIREWALL BF-SCRシリーズ」のベース技術となった。昭和53年(1978)には、大坪取締役と谷口取締役が欧州を視察し、英国のモルガンリフラクトリー社をはじめとした耐火物メーカーを訪問し、技術方法の収集とともに、自社の技術についても紹介した。 一方、国内では、大光炉材はアルミニウムを添加した耐爆裂性の流し込み材「FIREWALL BF-SCRシリーズ」の開発に成功し、国内の高炉でデモンストレーションを展開している最中であった。この流し込み材は世界主要国で特許を取得するとともに、西ドイツ(当時)、日本、米国で開催された国際耐火物会議発表会でも紹介するなど、積極的に海外にその技術を発信した。海外ビジネスの展開(1980~1990)第7章

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