大光炉材60年史
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50 小林滉副社長は、この画期的な新製品に社運をかける決意をした。「後ろを振り向かずに前だけを向いて、一気に営業攻勢をかける」と社員総出で積極営業に踏み切った。 昭和52年(1977)、流し込み樋材「FIREWALL BFシリーズ」のデモンストレーションのためのプロジェクトチームが結成された。開発研究本部の技術陣、営業本部の営業陣と工事部の精鋭がチームを組み、購入した十数台のトラックの荷台に資材を積んで、日本全国の製鉄所を回り、流し込み樋材による施工から清掃まですべてを大光炉材で行って、流し込み樋材「FIREWALL BFシリーズ」の効果をアピールするというものであった。販売管理費の予算は無視して、どんなに費用がかかっても全国の高炉に大光炉材の製品と技術力を実際に見てもらい、その良さを実感してもらうという戦略でプロジェクトを立ち上げた。 そのプロジェクトの思い出について、メンバーの一人であった武重敏彦は後に次のように記している。 今は昔(かれこれ20年位前)、当社にB・Sプロジェクトチームなるものが発足した。高炉出銑樋のキャスタブル化に伴う研究開発販売促進チームといったものであろうか、もっと、端的にいえば大光ドサ回りチームといった方が適切であった様だ。ともあれ、大光の中の精鋭を集めて発足した。当初は、如何に簡便な施工をするかに論議が集中した。当時、わたしは電車通勤をしていて、たまたま、車窓から川底の砂利運搬にベルトコンベアを使っているのを見てベルコンの使用を提案したのが運のつき。まさか、ベルコンが後に、我々の前に重く立ちふさがってくるとは思いもよらなかった。このベルコン、とても、重いのである。それからの毎日はこのベルコンとの格闘の日々であった様に思う。ただ、我々は選ばれた精鋭であるから、“休みよこせ、金よこせ”なんて決して云わず、徹夜作業もいとわず、北は室蘭から南は大分まで走り回り、黙々とよく働いたものであった。 〈中略〉 最後に発足当初のメンバーを紹介して筆を置く。(敬称略)梨本、岩崎、三乗、近藤(進)、西川(千)、西川(清)、桑原、武重。なお、何をもって精鋭の基準としたかは読者の判断におまかせしたい。 社内報「大光」323号(平成7年2月15日)より5.日本鋼管福山製鉄所との取引が始まる 昭和53年(1978)7月、 新日本製鐵八幡製鐵所の洞岡第四高炉が操業を停止した。これで、日本の鉄鋼業の歴史そのものである八幡地区の高炉が消滅することになり、翌54年(1979)8月には 八幡地区の製鋼設備のすべてが休止された。生産効率の低い旧設備から生産性の高い設

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