大光炉材60年史
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48 で、このところ経営環境は大荒れ模様です。日米通貨戦争ともいわれる円騰・ドル安を背景に、関連産業は生き残るための対応策に躍起となっております。減速経済下にあって、なお順調な業績伸長をみてきたわが社も、また例外ではありません。健全な企業体質が望まれています。「常に顧客が求めているものをつくり得る技術」がそれです。 目標到達への道は険しい。しかし、企業が心と技を失わないかぎり、前途は洋々、その道は、おのずから開けるものと私は確信しています。 ここで述べている「企業が生存発展をつづける」ための「固有の技術」が、この時期、次第に確かなものへと変わりつつあった。3.流し込み樋材の開発 高炉から排出される溶銑を鍋に導く出銑樋の築造法としては、1960年代から20年以上にわたってエアーランマーによるスタンプ工法(ラミング工法)が採用されてきた。具体的には、鉄枠の内側に埋められた半練り上の耐火物を、餅をつくように人力や機械でランマーを打ちつけて、耐火物の壁を形成していく方法である。このスタンプ工法は国内各社に採用され、大光炉材でもこのスタンプ工法で使われる出銑樋材「モノウォール」は主要製品の一つであり、会社発展の中核商品になっていた。 しかし、このスタンプ工法にも課題があった。人力によるスタンプの場合は高熱作業、白ろう病問題や粉じんなどの作業環境面の問題があり、材料面からは、充填ムラやラミネーション(層状の組織ムラ)などの問題があった。機械(自動スタンピングマシン)によるスタンプ工法も、設備費や樋形状、大きさ、取り替え樋と固定樋の差、出銑状況などの差により、どこでも採用可能といえる段階にはなっていなかった。 耐火材各メーカーでは、これらの諸問題を解決するために流し込み施工が可能な樋材の研究開発を進めてきた。これは鉄枠や背面耐火物の内側に仕上がり形状と同じ型枠を予めセットし、その間に水で練った耐火物を流し込む。耐火物が硬化したら型枠を外し、最終的な乾燥をして完成する施工方法である。 大光炉材においては昭和49年(1974)2月から流し込み材の研究を開始し、昭和50年(1975)7月には高アルミナ質の断熱材を完成させ、同年8月から流し込み樋材の本格的研究を開始した。昭和50年(1975)11月、「BF-SCR」を完成させ、同年12月には、新日本製鐵名古屋製鐵所で実炉テストを行った。 流し込み樋材の開発の最大の壁は、水蒸気爆裂の防止であった。流し込み樋材は耐火物に適度な流動性を与えるため、従来の耐火物に比べて材料が緻密に成形されるため、その水分が乾燥段階で一挙に加熱水蒸気となって、耐火物の壁を破壊する。この爆裂をどう防止するかが、開発の隘路になっていたのである。

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