大光炉材60年史
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46 1.小林 滉が副社長に就任 日本の鉄鋼生産は、戦後の復興とともに一貫して伸長を遂げ、昭和48年(1973)には米国と肩を並べる1億2,000万トンの水準に達した。しかし、昭和48年(1973)と昭和53年(1978)の2度にわたる石油危機、いわゆるオイルショックによって大きな転換期を迎えることになった。鉄鋼需要の低下と原燃料コストの上昇によって、各鉄鋼メーカーは量的拡大に頼ることなく生産性の向上と高級鋼の開発で需要ニーズに応えることが求められるようになった。昭和50年代はその転換期であり、オイルショック以降、長く続くことになる「鉄冷えの時代」の始まりでもあった。 大光炉材もまた、転換期を迎えていた。会社の設立からつねに陣頭に立って経営を推し進めてきた創業者の小林武爾社長が病気のため、陣頭に立つことが困難になったのである。 昭和51年(1976)6月、取締役営業本部長であった小林滉が新たに代表権を持つ副社長に就任した。小林滉副社長は昭和45年(1970)の入社以来、営業の第一線で活躍し、昭和48年(1973)には若くして取締役として経営陣に加わり、経営感覚を身につけてきた。社外にも独自の人脈を育て、トップマネージメントに必要な幅広い知識と情報を吸収しつつあった。小林滉の副社長就任にともなって、以下のような人事が行われた。〈役員〉 取締役社長 小林武爾 取締役副社長 小林 滉(営業本部長兼務) 取締役経営企画研究所長 大坪秀人 取締役開発研究本部長 谷口泰造 取締役(非常勤) 大槻鉄二郎〈顧問〉 中村悦巌 松永初平 山村育稔 永田芳秋 佐藤 功 真田 栄〈部門長〉 総務部長 木村 茂 経理部長 金井邦行 第一営業部長 桜井也 第二営業部長 田中正也 研究所長 渡部公士 工事部長 古沢洋一鉄冷えからの新たな飛躍(1976~1982)第6章代表取締役副社長(当時)小林 滉

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