大光炉材60年史
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40 員長とする「大分工場建設本部」を設置し、調査と計画に着手した。 翌46年(1971)4月に工場建設の起工式が行われたが、着工時には社宅がすでに完成され、操業にむけて入念な人員投入が用意された。君津工場での苦い経験が、すでに活かされたものといえよう。 同年9月6日、戸畑工場神社前で大分工場結団式がとり行われた。同工場はその特徴として、立地条件の良さ・全機能のコンパクト化・徹底した省力化・流通ルートの円滑化・完全な公害防止などがあげられた。 また機械設備に人間が振り回されることのないよう、半自動化システムが採用され、加えて福利厚生面においてもモデルとなる工場をめざしたのだった。4.新体制で業界トップとなる 昭和46年(1971)10月に操業開始した大分工場を軸に、戸畑工場と君津工場による3拠点による生産体制が整った。その結果、対前年比で10%を超える増収増益となり、粗鋼生産低下のあおりで軒並み業績ダウンを見せた耐火物業界の中で、当社は特異性を見せつけたのだった。しかし46年度業績は21億7千379万1千円にとどまり、5ヵ年計画が目標とする30億円への到達にはまだ距離があった。 それでもこの年、当社のシェアは25%に達し、名実ともに業界トップの地位についたことは、特記すべきことである。この追い風をうけて、生産部門の充実を果たした当社は、営業部門の強化へと目をむけた。その具体策のひとつとして、炉材部門と工事部門の統合があった。また工事事業部を廃止して営業本部下に営業工事部を発足させ、コンサルティングセールスの強化をはかった。 なお昭和46年(1971)には、従来の社是を改め、下のとおり「経営理念」を制定した。<経営理念>会社は、国外、国内の競争激化する現況を正視し、常に他社に先んずる技術と新製品の創造を通じて、・国家社会に貢献し・社員個々の自覚に基づく積極的な経営の参加と・企業の限りなき発展に努力し、社員の幸福を実現する大分工場結団式落成式を迎えた大分工場創業当時の大分工場

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