大光炉材60年史
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38 モノウォールHの開発により、当社のプラスチック耐火物の研究は軌道にのり、鉄鋼・竃業・重機械・非鉄金属・化学など、広範囲のユーザー層を相手にする素地ができ上がったといえよう。当時の主要な得意先は、以下のとおりであった。 八幡製鐵㈱、富士製鐵㈱、川崎製鉄㈱、住友金属工業㈱、㈱神戸製鋼所、日新製鋼㈱・大同製鋼㈱、東海鋼業㈱、関東特殊製鋼㈱、三菱重工業㈱、日立造船㈱、久保田鉄鋼㈱、石川島播磨重工業㈱、ロザイ工業㈱、三井金属工業㈱、尼崎コークス㈱、三井コークス㈱、三菱鉱業セメント㈱、日本セメント㈱、太平洋金属㈱、三菱化成工業㈱ ほか これら以外にも、早強性キャスタブルSR135・耐アルカリ性モルタル・耐スポール性モルタルなど、バラエティに富んだ開発を成功させていった。 また昭和40年(1965)には、申請していた珪酸ソーダセメントの特許が認可された。当社の工業所有権取得第1号であった。 研究と生産の設備面では、昭和40年(1965)11月に真空タンマン炉・荷重軟化点測定装置・熱膨張収縮測定装置が、翌41年(1966)5月に恒温恒湿試験器のほか電動転倒加熱式ニーダー・竪型混合機などが設置された。5.君津工場の建設 当社最大のユーザーであった八幡製鐵株式會社は、千葉県にある君津製鐵所の粗鋼生産規模を昭和45年(1970)3月までに年間500万tに増強するという、第一期設備拡充計画を発表した。当社はこの動きに呼応し、東京事務所を通じて君津製鐵所との接触を開始するとともに、君津工場の建設プラン構想の緒についたのだった。 昭和43年(1968)9月、君津製鐵所への受注活動を継続しつつも、当社新工場はいよいよ建設実行段階へと入った。まだ地歩の固まらない地域での、当社創立以来の新工場建設であった。 翌44年(1969)8月、新工場の完工式がとりおこなわれ、操業を待つばかりとなった。ところが本社を遠く離れた土地で、人員面、設備面ともに期待どおりの立ち上がりを見ることができず、しばらくは苦渋の期間を耐えねばならなかった。第1目標とした月産1000tが実現したのは、同年10月のことだった。 この君津工場の建設と操業開始で得た貴重な経験は、後年、大分工場の建設において大いに役立つことになるのだった。建設中の君津工場

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