大光炉材60年史
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36 1.社内報『大炉』の創刊 労組結成が当社の管理体制づくりの契機となったことはすでに述べたが、結成翌年の昭和39年(1964)1月、人事管理面での試みの一つとして社内報の発行が決まった。社員全員が経営姿勢を理解し、労使間に同志的な気持ちの結合をつくりたいというねらいがあった。 創刊号は『大炉』のタイトルで、タブロイド判2ページというささやかなものであった。巻頭の挨拶として、小林社長はこの社内報に託す思いを述べている。「この『大炉』が、社員のみなさんと会社との意思疎通の完全なパイプとなり、その役目を十二分に果たされんことを希望してやみません」 『大炉』は、はじめ隔月刊でスタートしたが、その後4ページとなり、昭和46年(1971)1月から月刊となり、5月になって『たいろ』とタイトルを改めた。その後も、型を変えページを増やしながら、昭和50年(1975)4月のNo.86からはB5判8ページとなった。 また『大炉』創刊と同時に、当社は下掲のとおり「社是」を制定した。<社是>一、協力一致して会社の繁栄に尽くし、お互いの幸福と安定に 努力しましょう二、進んで職務に精励し、秩序を守り、誠心を以て責任を遂行しま しょう三、手をつなぎ働く者の為、会社の為、社会の為、国の為になる良 い製品をつくりましょう四、相互信頼に基づくよりよき労使慣行をつくりましょう2.創立10周年を迎える 昭和39年(1964)4月13日、創立10周年記念式典が盛大に催された。創立時からのメンバー23人をはじめ、従業員130人が身を引きしめて参列した。業績の推移を振り返ると、昭和36、37年においては売上高の横這いのみならず利益の大幅な落ち込みを経験していた。人員と設備面での先行投資が影響しているとはいえ、赤字決算となったのである。その後、39年業績では大きく持ち直すものの、この創立10周年の節目は緊迫感をともなったものであった。 記念に発刊された『拾年の歩み』に、小林社長は「この揺籃時代の貴重な経験を生かし、今こそ百年の大計の出発点とすべき時ではないでしょうか」と述べている。基礎固めから拡張へ(1964~1969)第3章「大炉」創刊号創立10周年記念式典創立10周年記念冊子

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