大光炉材60年史
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34 このような布陣をもって、生産と販売のバランスをはかりながら、事業拡張を期していったのであった。3.工事部門への進出 品質の向上維持と販路拡張が徐々に進むなか、当社はある障壁と立ち向かうことになる。それは築炉の設計施工の問題であった。いくら製品がよくても、炉の冷修や定期補修を行う築炉業者の施工技術が十分でないと、受注に結びつかない要因となる。理想的な耐火設備として納めるには、築炉の設計段階で仕様決定することが望ましい。また鉄鋼用の炉に限らず、他分野への進出をも視野にいれるなら、工事部門への進出を避けて進むことはできなかった。 そこで昭和34年(1959)4月、本社工場内に築炉部を新設し、築炉設計ならびに築炉工事を積極的に受注することになった。また昭和36年(1961)11月に築炉部は工事部へと拡張され、その後の業績向上に大きく貢献した。4.あいつぐ設備投資 その他の投資として、昭和35年(1960)に製品倉庫・資材倉庫・工事事務所・築炉事務所を建設し、また10月には300万円の増資により資本金を500万円とした。 また同年12月には、工場内の約1,350㎡の敷地に新しく研究所を設置した。これにより従来の試験機能にくわえ、JIS規格試験測定装置・熱間強度試験機・熱膨張率測定装置などの設置により、研究機能の強化をはかった。 これら設備投資と相まって、生産性向上のための努力が続けられた。トン当たり平均単価の推移を見ると、昭和29年(1954)が14,962円であったのに対し、昭和37年(1962)では18,940円にまで引き上げられ、コスト引き下げが功を奏していることがわかる。 販売網の拡張は海外にも向けられつつあった。昭和35年(1960)9月には、商社を通してブラジルのウジミナス製鉄所へ、高炉熱風炉用耐火モルタルが輸出された。こうして当社の製品がはじめて海を渡ったのであった。5.労働組合の結成と解消 ここで従業員数の推移を振り返ると、新会社設立時に36人でスタートし、その8年後の昭和37年(1962)には166人に達していたことが記録に残っている。そこには将来性を見込んでの技術・研究要員も多く含まれた。給与体系の確立しない時期のことでもあり、そういった要員を給与面で優遇した背景もあって、いつしか従業員の間で不満の声がささやかれるようになったと思われる。 そうした結果として昭和38年(1963)7月、突如、大光炉材株式会社労働組合が結成された。さっそく待遇改善・賃金体系の確立・スト権ボールミル(左)とフレットブラジルへの輸出製品第1号知事らとテレビ出演する小林社長(左端)

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