大光炉材60年史
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33通史 第1部 第2章・大光炉材の誕生(1954~1963)1.大光炉材株式会社の設立 昭和29年(1954)4月1日の株主総会で、大光産業株式会社を解散し新法人を立ち上げる計画が承認され、同年6月15日をもって同社の名は登記簿から消えた。 そうした計画のもと、同年4月26日には資本金200万円の新しい企業 大光炉材株式会社が誕生した。本社および工場の所在地は、戸畑市都島通り(現 北九州市戸畑区牧山新町)であった。また登記に先立つ4月13日には、戸畑市長や八幡製鐵所関係者ら多数の来賓を迎えて創立式典と工場開きが行われた。挨拶に立った小林社長は、「建物も古く設備も不十分ですが、将来の大きな光にご期待ください」と新たな決意を述べたのだった。 新会社スタート時の経営陣として、小林社長のほか、生産担当役員に大槻鉄二郎、営業担当役員に有田一人が就任した。まだ実績のない会社であったので、納期の徹底厳守・不良品の徹底排除・適正価格の維持を目標に掲げ、従業員ともども気を引き締めて業務に邁進したのであった。当初の月産能力は、約300万円だった。 さらに創立1年後には、敷地内に約70坪(240㎡)の新工場を建設し、フレット、ボールミル各1基および各種試験研究機器を設置し、増産態勢の強化をはかった。2.各地に駐在所と営業事務所を開設 生産体制の定着に気を配りながらも、小林社長みずから市場開拓に東奔西走する日々が続いた。当時からすでに、単に製品を売るだけでなく、築炉工事から請け負うことを視野にいれたトータルセールスをめざしていたのである。 そうした努力の一つの結果として、昭和31年(1956)5月、富士製鐵株式会社(現 新日鐵住金株式会社)広畑製鐵所が新たな納入先として開拓された。ようやく、八幡製鐵以外の得意先が得られたのだった。同月、姫路市広畑区に広畑駐在所が設置された。 その後も阪神、京浜さらに東京まで、営業の足を運んだが、容易に成果を上げることはできなかった。しかし当社は攻勢をかけるべく、受注見込みのないまま昭和33年(1958)2月、大阪市西区南堀江に大阪事務所を開設した。所長以下数人が常駐し、本社と連携を保ちながら大口受注先の開拓拠点としたのだった。 続く昭和34年(1959)9月には、富士製鐵所の北海道室蘭製鐵所が納入先に加わり、室蘭市輪西町に室蘭事務所を開設した。また翌35年(1960)12月には、大手鉄鋼メーカーとの関係づくりを考慮して、東京都大田区に東京事務所を開設した。大光炉材の誕生(1954~1963)第2章創業者 小林武爾創業時の本社事務所

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