大光炉材60年史
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32 いを募らせ、あちこち物件を探してもいたのだった。 そんなとき、旧国鉄戸畑駅近くに、日本特殊煉瓦工場であった土地建物が売りに出されるという情報が得られた。持ち主は、退役軍人で同工場の経営者でもあった吉武小三郎氏だった。小林社長とは元軍人どうしということで意気も合い、売買契約へと話を進めることができた。土地・建物ともで600万円だったと記録されている。 昭和29年(1954)3月、商工中央金庫八幡支所を通じて中小企業金融公庫から600万円の融資を受けて登記を済ませると、操業準備が進められた。煉瓦用の設備を改造し、焼成竃炉4基、クラッシャー1基、№1フレット・№2フレット各1基でスタートしたのだった。 女子12人をふくむ36人の従業員で生産体制を整え、主力製品は平炉出鋼樋材・ドア用スタンプ材・特殊耐火モルタルなどであった。また品質のバラツキを防ぐため、不十分な設備ながら試験室を設けたことは、小規模の工場としては特筆すべきことであった。

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